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各所の説明がご覧いただけます。


山門と仁王像






当寺の仁王像は、東大寺南大門の金剛力士像を模して
職人が粘土形成からはじめ、鋳造したものです。
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子育て地蔵





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大黒天







令和二年(2020年)元旦より所沢七福神が開場し、
当寺に大黒天をお祀りさせていただくこととなりました。
大黒天は、古代インドのマハーカーラ(魔訶迦羅)という神が
起源とされています。マハーは大きい、カーラは黒です。
日本に伝来ののち、食をつかさどる
台所の守護神として祀られ、その後台所の神から
福の神として信仰されるようになっていきました。
そして、大黒と大国の音韻や、容姿が通じることから
大黒天と大国主命が習合されていきます。
福徳や財宝を与える神として、また 商売繁盛、
縁結び、田の神としても崇められています。                     
ご真言(マントラ)「おん まかきゃらや そわか」と唱えながら、
大黒さまを撫でさするとさらなる広大無辺の仏のご利益を
いただくことができるといわれております。
どうぞ皆さま、「おん まかきゃらや そわか」と唱えながら、
大黒さまを撫でてみてください。
御朱印は、大黒さまの右隣のテーブル上にございます。

所沢七福神 (午前9時から午後4時まで開場しております。)
1番 恵比須天 持明院 所沢市北秋津85
2番 大黒天  長久寺 所沢市久米411
3番 福禄寿神 佛眼寺 所沢市久米2445
4番 弁財天  永源寺 所沢市久米1342
5番 寿老人  光蔵寺 所沢市荒幡499
6番 布袋尊  本覚院 所沢市荒幡653
7番 毘沙門天 海蔵寺 所沢市山口2725

甲子 きのえね の日(大黒さまのご縁日)について
今年 令和6年の甲子の日(大黒さまのご縁日)は、
下記のとおりになります。
1月1日(月) 初甲子
3月1日(金)
4月30日(火)
6月29日(土)
8月28日(水)
 10月27日(日)
12月26日(木) 納めの甲子
  縁日限定で、お札を授与いたします。

 詳しくは→

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水子地蔵


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廻国供養塔 かいこくくようとう



平塚宗順常陽により安永三年(1774)江戸時代中期に
建てられました。当時は観音巡礼や四国遍路にならって
日本国中の社寺を廻ること(日本廻国行者)が流行しており、
常陽も国中の神社仏閣を参詣し、
その記念としてこの供養塔を建立しました。
平塚宗順夫妻の和歌などが刻まれた廻国供養塔の上に、
連台にのった薬師如来坐像が置かれている珍しいものです。
(所沢市指定民俗文化財)

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六地蔵




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寿和婦貴(咳)尊 すわぶきそん



すわぶき(咳)からきている名で、親しみをこめて
「おしゃびき様」とも呼ばれている六体の首なし地蔵です。
どうにも咳が止まらず首が落ちそうに痛かった人が、
その咳を止める為六体の首なし地蔵を祀って祈願し、
治った、という言い伝えがあります。
昔は子供の咳が止まらない時、地蔵様のたすきを戴いて
子供の身に着け祈願し、治ると新しいたすきを足して
お礼に来ていました。

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宝篋印陀羅尼塔 ほうきょういんだらにとう

万延元年(1860)江戸時代後期、
信徒のご寄進によって建立されました。                    
宝篋印陀羅尼塔とは「 宝篋印陀羅尼 ほうきょういんだらに )         
という経典を収めたことに由来する仏塔です。
功徳のある石塔として五輪塔とともに現在に至ります。

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熊野大権現



宗祖一遍上人が神勅開眼された、
和歌山県熊野本宮大社の神をお祀りしている小堂です。  
長久寺の守り神です。

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中根伝七郎正重の墓

中根伝七郎正重は、徳川家康に仕えて関東に入り、
久米村に知行地を与えられました。
慶長三年(1598)9月4日 に亡くなりました。
現在の中根伝七郎正重の墓は、正重の200回忌にあたる
寛政九年(1797)9月4日に、
子孫の中根正寧が再建したものです。
旗本中根氏は、江戸時代幕末まで久米村を知行し、
長久寺の維持発展にも貢献してくださいました。
(所沢市指定有形文化財)

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本 堂



昭和41年(1966)9月の台風により、
境内のけやきともみの木が本堂に倒れ、損壊し
昭和43年(1968)に上棟、落成し現在に至っています。
内陣は、幸いにも損壊を免れ 以前の本堂のままです。
江戸時代のものともいわれております。
木造、瓦葺きの建築ですが、昭和41年の工事時 防火を優先し
外壁にモルタルをふきつけました。
今となっては、惜しい限りです。
ご本尊は、秘仏の金銅造阿弥陀三尊立像
(所沢市指定有形文化財)です。

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一遍上人像



遊行の旅人 一遍
「旅ごろも 木の根かやの根 いづくにか 
身の捨られぬ 処あるべき」とは、
その生涯をかけて一生不住の旅から旅を続け全国に念仏を
流布させた、時宗宗祖 一遍 いっぺん 上人の和歌です。
この和歌が象徴しているように一遍上人は、
全国を遊行し、念仏札を配り( 賦算 ふさん )、
踊り念仏で数多くの人々に念仏の教えを弘めました。

一遍上人は、延応元年(1239)に 誕生しています。

人々と念仏とを結び付けるために一遍上人は、
念仏札を配り歩きました。このことを賦算といいます。
これは、算(念仏札)を賦(配)るという意味です。
念仏札には、「 南無阿弥陀佛 なむあみだぶつ   決定往生 けつじょうおうじょう  六十万人」と
書かれています。これは、念仏勧進のための方法であり、
六十万人とあるのは一遍上人が目指した数でもあり、
一切衆生を意味しています。
16年の遊行の間、念仏札を配った人数を『一遍聖絵』では、
25億(万)1千7百24人と記しています。

 正応2年(1289)8月 一遍上人は、51歳で終焉を迎えました。

時宗総本山遊行寺HP(http://www.jishu.or.jp/)より引用
 遊行寺は箱根駅伝で登場する藤沢の寺です。

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客 殿



昭和56年(1981)に完成した、木造、瓦葺きの建物です。
檀家の方の、法事の待合の間 会食の間として、
また葬儀のお清めの席などとして使われています。

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鐘楼堂 





毎年、大晦日には 除夜の鐘をおこなっております。

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豊川稲荷







明治四十四年(1911)に、愛知県の豊川稲荷より分社してもらい、
当山三十四世鐘阿義圓和尚によって安置されたものです。
社殿は、昭和四十七年と平成十六年に再建されています。
熊野大権現とともに寺の鎮守として大切にお祀りしています。
初午祭、星祭の神事も行っております。
初午祭は、3月の第一日曜日(令和6年は3月3日) 午前10時より
稲荷社にて、祭事 祈願をおこないます。  
のぼり旗と木製祈願札の授与があります。
星祭は、冬至の日(令和6年は12月21日(土)) 午前10時より
稲荷社にて、祭事 祈願をおこないます。  
木製祈願札の授与があります。

 詳しくは→

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